ルーニィ杉守と作家の往復書簡 -読むギャラリー-
2020年4月9日
ギャラリーにお越しいただくのが難しい今、
作家さんの仕事に触れる「読むギャラリー」を開設します。
ルーニィのディレクター・杉守と作家の往復書簡
1回目は現在リコメンドウォールで「Toy」を開催中の成澤豪さんです。
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拝啓 成澤豪 様
2020年は「Toy」「Nuance」2シリーズの企画展でお世話になります。
昨年2019年は、紙版画作品「Room」「A Book」「friends」の3作品を展示していただきました。
他の会場での額装のご相談で成澤さんがルーニィに来てくださったのはちょうど1年前。その時、紙版画作品「Room」を拝見し、頭の中に光がピカピカとしました。
何だろう?!もう心が飛び跳ねてしまって、未知の楽しいものとの出会いです。
初めてペンギンを見たときのような
初めてオムライスを食べたときのような
その額装の仕事が終われば、普通次のご依頼まで会うことがないわけですが、
成澤さんの作品をもっと見たいという衝動が抑えきれず、連絡をして、アトリエに失礼ながらお邪魔しました。
あの時は失礼いたしました!
今年は3/31からリコメンドウォールで「Toy」が始まっております。
昨年の繊細な影のグラデーデーションと、また違った色の選び方。
成澤さんにとって「色」とは、何でしょうか?
また、ドローイングではなく、版画という手法で「Toy」を制作したのはなぜですか?
杉守様
お便りありがとうございます。その節は本当にお世話になりました。初めての作品展で、右も左もわからずおりましたから、杉守さんのご経験値とお人柄に、牽引していただけたことが、大変心強かったことを思い出されます。偶然から紡がれたご縁が、一年後、このような状況にまで育まれたことを思うと、作品を作り続けていてよかったなぁと、つくづく思うところでして、また、大切に制作した作品たちに、僕自身が応援してもらっているようだとも感じております。
そして、そんな作品たちへの有り難いご感想!! ただただ、嬉しいばかりです。僕は、制作が首尾よくいくと、妻の目の前で、小躍りして(いるらしいです)喜び、そうして出来た作品を彼女に褒めてもらえると、さらに大喜びしますから、どうやら褒められたい一心で作っている…とも思えてきますね(笑)。ですから、褒められると、どうしてもまた作りたくなります。
昨年、参加のお誘いをいただいたグループ展企画を皮切りに、リコメンドウォールを含む2つの作品展が、生まれて初めての個展でしたから、つまりアトリエ(と呼べるほど立派ではないのですが…)にお越しいただいて、作品を見ていただくという経験も無いわけで、大変緊張していました。こちらの方こそ失礼がなかったかと、ヒヤヒヤです。
さて、現在リコメンドウォールで開催いただいている『Toy』へのご質問ですが、「色」へのご質問に触れる前に、なぜドローイングではなく、版画という手法なのか…という点にお答えしたいと思います。
五年ほど前に遡るのですが、他のシリーズ作品も含め、すべての作品制作の始まりは、一本の線をひくことでした。発表するあてはないのに、衝動だけはあり(笑)、何かの裏紙を活用し、夜な夜な描く線。そのうち、いろんな筆記具で、いろんな線を描くことを試したくなり、そうして描いていくうちに、次第にコラージュのようなものへ変化していくのですが、ほぼ毎晩、一つの作品を作り、妻に見せては褒めてもらう(あ、やっぱり褒めてもらってる?!)を繰り返していたのです。
そんなあるとき、コラージュの延長で、身近にあった紙の切れ端を使って、絵の具か何かを塗りつけて、スタンピングをしてみたら、版画的なことがとても楽しかったわけです。銅版画やシルクスクリーンの作家さんのような専門的なスキルも環境もありませんが、紙を版にした“紙版画”なら、今ある条件のなか、自分の試行錯誤次第で、感じていることを表現できるかもしれないと思い、その後、膨大な試行錯誤を重ねながら、どんどんのめり込んでいったのです。ですから質問にお答えするならば、はじめは一本の線、すなわちドローイングからはじまり、紙版画という手法は、色々と手を動かしているうちに、そこから枝分けれした表現のひとつ、ということになりますでしょうか。
今でも線を描いたり、切ったり、貼ったりなどを絶えずやっており、紙版画においても、相変わらず様々なトライを繰り返しておりまして、そんな試行錯誤の道程の、“今”という時点を抜き出したのが、現在展示いただいている『Toy』という作品、ということになりますから、もしかしたら『Toy』というテーマのままで、ドローイングや彫塑のような表現へと、変わっていく可能性も、あるかもしれませんね。
僕にとって「色」とはなにか、というご質問ですが、それは生活や人生で得た「喜び」そのものです。そしてそれはいつも、何らかの姿(情景)や概念、経験や実感と、表裏一体のような状態で、僕に訪れることが多いように思います。先述のドローイングでもコラージュでも、毎晩妻に発表し、鑑賞してもらっていると、この色はあの時見た花の色みたいねとか、昨日食べたお夕飯のあの味を連想させる線だね、ということを言ってもらっておりましたから、考えても見れば、日常生活で得た嬉しいことが、そのまま反映されているのだと思います。
美しい光もあれば、美しい影もあり、美しい音色があれば、美しい沈黙もある。
毎日の生活の中で、そんなことに気がつける瞬間に出会うと、嬉しさのあまり、いてもたってもいられなくなりますので、そんな風に何らかの印象(インプレッション)を目の前で得た時には、すでに「色」を直感(インスピレーション)している、つまり描くべき色彩を、この世界から頂戴しているのだと思います。
しっかりとお答えできているとよいのですが、いかがでしょうか(ドキドキです)。