Roonee 247 Fine Arts(ルーニィ・247ファインアーツ)

Exhibition

Room 1+2個展

20050810

榎本八千代

会期:2017.08.08(TUE)- 2017.08.13(SUN)

12:00-19:00(最終日16:00まで)

 展示されている写真は4歳の男の子の使い古された靴と服とおもちゃ。
そしてその子供が住んでいたマンションの周りの風景が写っているだけです。
本来ならその使いふるされたモノ達は成長ともに役目を終えて、廃棄されるべき予定のものでした。しかし それらのモノたちは捨てられることはなく、そして誰かに譲られることもなく、ずっと戸棚の奥へ長い間、隠されておりました。

 何故ならそれは、その母親が、彼が亡くなったと言う事実を
どうしても認められなかったからです。

 しかし、それらのモノ達は11年もの間、存在はずっと忘れられていなかったものの
1度も外へ出されることはありませんでした。

 彼女はその事実に対して 正面から向かいあう勇気がありませんでした。
自分の子供の死というのは自分の残りの人生の死でもあるからです。

 2016年の春、その子の母親であり 作者でもある榎本が しまわれていた箱から
一つ一つ丁寧に取り出し、カメラの前に置き、そしてファインダーを通して 
やっと11年前の「喪失」についてやっと考え始めることができました。

それは、写真というツールを利用することにより 自らの「喪失」の記憶について
辛いながらも向かいあう事が出来ると考えたからでした。

 亡くなった子供をよみがえさせたいという感情と、成仏して欲しいという感情は、
まったく正反対の位置にありながらも、常に榎本はそれを持ち続けてきました。
写真という手段は、そのアンビバレント(ambivalent)な欲望を1時的に実現できる
ツールであるとも彼女は考えたからです。
(アンビバレント=相反する意見を持つさま。両面の。また、相反する感情が同時に存在するさま)

 今回の作品は京都造形芸術大学通信部 写真コースの榎本の卒業制作作品として撮影されました。1年間を通して数少ない「遺品」に対して何百回ファインダーを通して覗き、シャッターを切り、プリントをするということは、彼女の中で 息子の喪失へについての対峙だけでなく
もう一つの重要な意味があるとやっと理解しました。
 
それは「解放」という言葉でした。

「喪失に対峙する」ということは 決して亡くなった息子のことを忘れるということではないということ。そうではなく、「かわいそうな被害者の母親」と「幼くして亡くなってしまったかわいそうな息子」からの「解放」でもあるということでした。

最後に榎本の今回の作品へのコメントを明記します
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これらの写真は、息子の事故から11年を経て それでも処分ができなかった
「遺品」と亡くなった保育所を撮影したものです。
これは私の「喪失」への対峙でありながら
「遺品」の私からの解放でもあり
「遺品」からの私の残りの人生の解放でもあります。

榎本八千代
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