Exhibition
モノクロームフィルムを愛してやまないD.J.ヒンマンは、ニューヨークで暮らしていた1990年代後半にICP(国際写真センター)の講座で撮影技術を学びました。それ以来ニューヨーク、東京と移り住みながら、日本や東南アジアの地域文化を探求して写真の腕をさらに磨いてきました。自身の内なる声とカメラの導きに応えることができるよう、撮影は独り徒歩で移動しています。モノクロームのみで撮影し、フィルム現像と暗室でのプリント作業も自ら行い、作品を制作しています。日本在住20年。
https://djhinman.com/
Room 1+2個展
Japan Is Calling: The 47 Prefectures
D.J.Hinman
会期:2024.04.16(TUE)- 2024.04.21(SUN)
12:00-19:00(最終日 16:00 まで)
この展示は、日本の47都道府県を主にローカル線を使って回った私の旅の記録です。10年ほど前のことでした。既に10年間も日本で暮らしていたというのに、大都市以外の日本をほとんど知らずに過ごしていたことに気がついた私は、日本各地の多様な魅力を探求するために全ての都道府県を訪れようと心に決めたのです。
田舎道の日本 旅を続けるうちに私は、日本各地の人里離れた場所や裏道に心惹かれるようになっていきました。田舎道や裏道は私の旅の目的地となり、その豊かさが私の好奇心を刺激するようになりました。鳥取県智頭町の寒村から岩手県宮古市の僻邑まで、そしてまた新潟県の佐渡島から沖縄の西表島に至るまで、田舎道の魅力は私と私のカメラを容赦なく引き寄せて止みませんでした。
ワンマン列車 ガタン・ゴトン、ガタン・ゴトンとワンマン列車に揺られて町から町へと旅を続けました。日本のローカル線に乗ると幸せな気分になれます。特にワンマン列車は、すぐに私のお気に入りになりました。私にとってのワンマン列車は、日本文化の象徴です。ワンマン列車に乗っていると想像力が掻き立てられます。
印象に残る列車の旅 深く印象に残っている列車の旅の風景の一つ目は、四国の宇和島から窪川まで走る予土線の一両だけのワンマン電車に乗って、白い霧しか見えない車窓から時折垣間見ることができた濃霧に包まれた山々です。二つ目は、青森から秋田まで乗った五能線のワンマン列車の車窓から見た、海沿いをかすめるドラマチックな風景です。そして三つ目は、八戸から仙台まで東北の太平洋岸沿いを辿る最も印象深い旅となりました。ローカル線とバスを乗り継いで、2011年に津波と地震に襲われ壊滅的な被害を受けた地域を通る間、毎晩のように道なき道の途中にある小さな町の宿に泊まりました。こういった列車の旅は、よそ者が滅多に見ることができない裏庭のような日本の一面と私をつないでくれる架け橋となったのです。
日没後の風景 夜の街頭スナップ撮影は私のお気に入りなのですが、日が暮れると通りに誰もいなくなるような小さな町では、それまでの撮影テクニックは通用せず、やり方を変える必要がありました。夜間に捉えることができた被写体は、最初は人通りがない街の風景ばかりでしたが、私のカメラは人々が集まる居酒屋などの屋内に次第に引き込まれていき、私もその後を追ってついて行きました。そこには、時には地元の人々との出会いや賑やかな交流があり、またある時は美味しくも孤独な食事のひとときがありました。
この一連の撮影を始める際のコンセプトは漠然としたものでしたが、日本の47都道府県には一体何があるのだろうという興味から始まった私の旅路は、多様な日本文化を味わうことで一旦幕引きとなりました。この展示でお見せする写真は、その道程で私が経験したことを体現しています。