ルーニィ杉守と作家の往復書簡 -読むギャラリー-4回目
2020年5月5日
ギャラリーにお越しいただくのが難しい今、
作家さんの仕事に触れる「読むギャラリー」を開設します。
ルーニィのディレクター・杉守と作家の往復書簡(全5回)
現在リコメンドウォールで「Toy」を開催中の成澤豪さん4回目です。
今回はギャラリーあるあるのお話からの「売れる作品」なんてことに触れるやりとりです。。。さて?
成澤様
お返事ありがとうございます。
「自分が生きる日常は”土(土壌)”のようで、僕自身はそこに埋まっている草木の”根っこ”のよう」
まさに、私の考える「オリジナリティ」というものを言い表してくださった!
作家さんの人生の中で経験した美術体験、それのみでなく日々の過ごし方、生まれ育つ環境などの全てが作品に投影され、
芽が出て膨らんで、花が咲いて、実がなるということと一致しており驚いております。
ギャラリーというのは、そうして育った色んな形の苗をお預かりして(大木の場合もありますが。。笑)
その苗たちの魅力を伝えるにはどうしたら良いか想像して、お見せして、お水をあげて、
側で話しかける仕事だと理解しております。
作家さんのこと、自分の感じた魅力などのストーリーをお話しします。
作品を鑑賞する際に、「私は勉強していないから」という方が多数いらっしゃいます。
鑑賞とは、そのかたの人生の視点で、他者(作家)の物の見方、
この流れで言うと初めてみる形で色の植物を受け止め方を面白がれることが最高の楽しみで良いし、
わかる、わからないということではないのだと思います。
わからなくて当たり前。他人なのですから!
「へー、そういう生え方もあるのか!」から始まり、グッときたり、来なかったり。。。
作品を発表したら、沢山の人に見てもらいたい、受け入れられたいというのは自然な気持ちです。
ギャラリーでよくある質問の中に「どんな作品が売れますか?何作ったらいいですか?」というものがあります。
私が聞きたい!
しかしながら多くの人に受け入れられそうな事柄を作品に仕立てようとすると、不思議とこじんまりとした作品が出来上がる。
そんなことを沢山見てきました。
これは一体なんだろう?
雑誌を研究して、最高のデートコースを計画しても、その人らしくなくて楽しくないのに似ているなあなどど
俗な私は思ってしまいます。
あなたの経験の中から、彼女とこんなところに行きたいな、これを食べようよ。で全然いいのになと。
「ほーら、これが好きなんだろ?」と言われてるようで、放っておいてくれ!と思ってしまう。
嫌な女子だったかもしれません。。。それはそれで男の子は考えてくれていたのでしょうから。
話が逸れそうなので、さておき!
そこで自分が作品を買うときのことを考えます。
お部屋に合いそうなものをインテリアとして選んでいるかというとそうでもないのです。
そこが、作品が商品とは違うところではないでしょうか。
作品を購入することは力が要ります。決して安い買い物ではないです。
覚悟を問われます。
衝動の強さ、その作品と夜な夜な語らう喜び、朝行ってきますの時にニンマリする時間を想像します。
あ、恋です!
また、私にとってはこの作家さんを応援したいかというのも大事なことです。
それは愛です。
以前、作品を購入してくださった方の言葉が心に残っています。
バーをお一人で営む方でした。
平面作品でしたが、額装する際にアクリルをつけないでくれとおっしゃいました。
「私が過ごすバーにかけて毎日一緒に過ごしたい。タバコの煙も、お客様の息も全部一緒に吸い込んで、いつか死ぬときには一緒に棺桶に入れて灰になりたい」と。
そこまで思われて、購入していただける作品はなんて幸せなんだと。
忘れられないお客様です。
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杉守様
お返事ありがとうございます。
お手紙、楽しく拝読させていただきました。杉守さんが取り扱われる、作品への“愛”や“恋”のくだりは、特にギャラリストとしての、掛け値なしのパッションを垣間見るようで、そういう想いのもとに扱ってもらえる作品たちは幸せだなぁと、あらためて感じるところです。
また、“売れる作品”や、“何を作ったらいいか”という質問を受ける、というお話を伺うにつれ、前回の書簡後半にも書かせていただきましたが、いよいよギャラリストというお仕事が大変なお立場だ、とお察しいたします。“売れる作品”というセリフの響きには、作り手としては、なぜかわかりませんが、得体のしれない背徳感があることに、お手紙を拝読して感じました(笑)。なのに、使う言葉の順序が“作品が売れる”となっただけで、底無しの喜びが湧き出してきますから、不思議ですね。売れる作品とは、作品が売れた時に、結果として“売れる”もしくは“売れた”作品となるわけでしょうから、そこにもってきて、“どんな作品が売れるのか?”という話題は、僕などは頭がこんがらがってしまい、こんな風に言葉のレトリックな側面しか、語れることが思いつかないわけです(笑)。こういう困った時は、いつも自分の実感を振り返り、経験を参照するのですが、1回目の書簡にも書かせていただいたように、妻以外、誰かに見せるための作品として作り始めたわけではなく、ましてや売るために始めたものではありませんでしたから、やはり、根本的にどうも言葉に詰まるわけです(笑)。しかも、3回目の書簡で告白(?!)したように、作品が生えてくる…みたいなことを言っているくらいですから、“何を作ったらいいですか?”という質問者の方へ、正しく答えられるはずもないですよね(スミマセン)。ですから、そんな難問と向き合う杉守さんのお立場を、本当に尊敬するわけです。
僕の場合、先述の通り、だれに見せるわけでもなく始めた制作の時期が長くあったのですが、日中の仕事の足を引っ張るような(他人に迷惑をかけてしまうような)影響が無いことを条件に、夜中の時間を作品制作にあててきました。そんな僕の姿が、きっとあまりにも熱心だったからでしょうか(笑)、ある夜、妻が、僕などより遥かに優秀な視点で(笑)こう助言してくれたのです。私が見てこんなに嬉しい気持ちや、ホッとした気持ちになれるのだから、ほかの方々も同時代の心で生きている以上、同じ気持ちになれる方がいらっしゃるかもよ…と。それ以降、紆余曲折あって、世間知らずで経験不足のまま、僕は杉守さん達との出会いに、導かれたものですから、ご存知のように作品の値段設定なども、ギャラリストさんの知見をお借りしなくては、決められないような次第なわけです(重ね重ねスミマセン)。
また、作品を気に入っていただけるなら、差し上げてもいいよ、という僕の態度に対し、やはり妻が、この先も作り続けていきたいと願うなら、作りたいと思うあなたが、ご飯も食べないと作れないし、絵具も買えないと作れないのだから、どなたかにあなたの作品と気概を買っていただけることも、作家活動の大切な要素に組み込んでいかないとね、とさらなる助言をくれて(笑)、なるほど!と(遅ればせながら…笑)理解したものですから、プロの作家として必要な、売ることや売れるために、という視点や姿勢が未熟なのだと思います。
ですから、あくまで僕の感覚での話ですが、“作品が売れた”とお知らせいただけると、自分の中での、あの作品を作ろうと思った(つまり生えてきた)ときの、喜び、安らぎ、興奮などの創作へと向かったポジティブな感慨と、同じ感慨を抱かれた方と出会えた!という証明をいただいたようで、そしてその感慨を、夜な夜な時間をかけて、作品化するためにかけてきた気概を、認めていただけたように感じるので、“底無しの喜び”を感じるのです。ちょうど、夜空に問いかけたら星の一つが応えてくらたような、そんな奇跡的な感じです。
もちろん、ご購入されずとも、お褒めいただけたり、いつも楽しみにしています、などと言っていただけると、結局は同じように大喜び(笑)。1回目の書簡でも書かせていただきましたが、そんな感情が、また次に作りたくなる原動力にもなりますので、ましてや、購入(所有)していただけるということは、つまり“私の生活(人生)には、これが必要です”と、言っていただいてる感じがして、やはり喜びがひとしおです。ですから、杉守さんのお手紙に書かれていた、バーを営む方のお話は、(後世に作品を残すことが、なにより喜び…という作家さんは別として)作家として感じうる喜び(作家冥利につきる)の一つを、地で行くエピソードだなぁと思いました。
さて、この往復書簡、全5回ということで始まったかと、理解しております。杉守さんからいただく、お手紙に書かれた、ご自身のお立場ならではのエピソードはいつも楽しく、そして頂戴するご質問は、普段は自分のこと過ぎるからか、客観的に言葉にしたことがないようなことを、引き出していただけて、とても勉強になる機会でした。回を追うごとに文章が長くなり、恐縮していたのですが、今回は少々コンパクト(ぎみ…)に。次でいよいよ最後ですね。最終回のお手紙、期待しています!とすると、そのお返事のハードルが自動的に上がるので(笑)、お互いのために楽しく自然体でゴールしましょう。