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ルーニィ杉守と作家の往復書簡 -読むギャラリー-2回目

2020年4月12日

ギャラリーにお越しいただくのが難しい今、
作家さんの仕事に触れる「読むギャラリー」を開設します。

ルーニィのディレクター・杉守と作家の往復書簡(全5回)
現在リコメンドウォールで「Toy」を開催中の成澤豪さん2回目です。
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成澤様

お便りありがとうございます
成澤さんの小躍り、私もそっと物陰から拝見したい!!

多分ギャラリーのディレクターは、作品を初めて見る他人かと。
とても贅沢な仕事で、その大切な作品と作家さんを世の中に紹介できる最高の仕事だと思って生業としています。
今、コロナウイルスの蔓延でおうちでこれを読んでいる方が多いと思いますが、
人類の歴史の中で、疫病、戦争、ホロコースト、自然災害など危機的な状況がありました。
そのような状況の中で、命をつなぐことに一見必要のないアートですが、
今まで無くなってないということは、人間に、心に必要だからなのだと信じております。

だから、本当に嬉しかった!
成澤さんの作品に、成澤さんに出会ったとき、本当に嬉しかったんです。
なんと穏やかな、心踊る作品なんだろうって。
アートはやはり人が人間らしく生きていくのに必要なのだと。

「すべての作品の始まりは、一本の線をひくことでした」
と前回のお手紙にありましたが、そういうことなんだなあと妙に納得しました。
ご自身の身の回りにあるものを使って、表現の幅が広がっていったのですね。
そしてそれが私たちに届いた。

あ、やばい。まとめのような文章になってきてしまった。
ごめんなさい、感動屋さんです。お許しください。。。

さて話を戻しますね。(こほん!) 今回のToy、様々な乗り物がですが、
絶妙な引き算で、シンプルな形が描かれているように見えます。 そのシンプルさ故に見る人が自分の思い出の何かから想像を膨らませ、共感を呼ぶ「余白」になっています。
そして、描くものは紙の30〜40%くらいに描かれています。 描かれる大きさによって、まるで違って見えますよね。
成澤さんは「サイズ」や「余白」をどう考えて制作されていますか?



杉守様

お返事ありがとうございます。
杉守さんのギャラリストとしてのアートへの想い、そしてパッションが、明るいお人柄とあいまって、作家と作品、そしてギャラリーを訪れる人々を惹きつけているのだと、あらためて感じるお手紙でした。作家やその作品自体が持つ“意思”を、まるで自分のことのように感応されていらっしゃるようで、アート憑依体質(?!)と言えるほどかもしれませんが、可愛らしく言い換えるなら“感動屋さん”ということになるのでしょうね。アーティストにとっては、こんなに嬉しい味方はおりません。

さて、今回頂戴した質問の「サイズ」や「余白」について。
このご質問に、少しだけ勝手な意訳をお許しいただけるなら、サイズ、余白の問いに挟まれて「フォルム」という問いの暗示もあるように思いました。これら3つの要素は本来、連星のように密接で、互いに影響しあっておりますから、つまりどれか一つだけを語ることの難しさがありますね。しかしこの3つを同時に束ね、作品制作時ともなれば、完成のその瞬間まで、気に留め続けなくてはいけないことがあります。それは「バランス」です。Toy作品シリーズにおいての「バランス」をお話しすることが、問いにお答えすることになるかもしれません。

まずはじめに、「フォルム」のこと。
自分が“気になる”モチーフと出会うと、それが乗り物であれ、道具であれ、2つの癖がムズムズとしてきます。
どこに惹かれたのかを知りたくて、それをずっと長いこと見つめ続ける、最初の癖。見つめ続けた挙句に、ああ、ここがこうなっているから好きになったんだなぁ…と、自分なりにやっと納得すると、今度は膨大な数の似たモチーフを、手当たり次第見て、その納得自体をどうしても確かめたくなる癖です(笑)。気になるという予感から始まり、“好き”という本心を手放さないで、深く広く気が済むまで追いかけるうちに、好きを支えるエッセンシャルなものが残ってくるのですが、僕はこの正体は、物事を人が理解しようとする時に最初に頼りにする「らしさ」なのだと感じています。
出会ったモチーフから、いかにして「らしさ」を、すっ…とすくい取れるか。
これが上手くいくと、一見、引き算されたかのような、“らしさのカタチ”が浮かんでくるわけです。そんなフォルムがもたらす印象が、きっと杉守さんが評してくださった、共感のための「(心理的な)余白」という効果を生んでいるのかもしれませんね。

そして「バランス」について。
実はここでもう一つ、Toy作品において大切だと感じていることがあります。
それは“可愛げ”という美意識です。“正しさ”と“でたらめさ”が共存することで生まれる、この“可愛げ”が、なるべく際立つように気を配っております。
用紙の風合いとそのサイズの選択に始まり、その中にあって、モチーフのフォルムが、絵そのものの佇まいとなって映えるモチーフサイズ(すなわち絵的な余白)。それらが全てが影響しあって、つまり「バランス」を取り合いながら、絵の雰囲気や印象を醸しているのだと感じます。絵は、パッと見た時に何を感じるか…に、人と作品の間で繰り広げられる交流のすべてがありますから、その点で言えば、絵における色彩、フォルム、サイズや余白などが、“言葉”であるなら、バランスというのは、作家が作品に対して与える、“文法”のようでもありますね。
バレンを振るう度に願うのは、まだ見ぬ誰かにとっても、“好き”となれるといいなぁ、ということ。だからこそ可愛げが大切で、それは作品たちが、僕のような制作者以外の人々と、もっともっと幸せな出会いを得るために必要なことであり、作品にそっと忍ばせた、他人のための“余地”ともいえ、ここまで来てやっと、作品へ対して、本当の意味で自分が求める「バランス」が取れてくるように思います。

こうして作品が生まれる背景を、文字で書き出すと、少々息苦しいように聞こえますが(笑)、実際の制作中はただただ楽しく、時間を忘れてしまいます。そして、これらすべてが上手くいくと、例によって(門外不出の)小躍りをするのですが、そう上手くはいかないことも多々ありますから、その時は落ち込み、静かにグズるらしいです(笑)。でもそんなときは、妻にちょっと慰めて(嗜めて?)もらい、美味しいご飯を食べたなら、明日また頑張ろう…となり、つまりそうやって、僕と作品たちは、彼女に心身のバランスを取り戻してもらっているわけですね(笑)。

余計な話も多いなか、お答えとして、的を射ていればよいのですが(雑念が多く、2通目でもまだドキドキします)。

ルーニィ杉守と作家の往復書簡 -読むギャラリー-

2020年4月9日

ギャラリーにお越しいただくのが難しい今、
作家さんの仕事に触れる「読むギャラリー」を開設します。

ルーニィのディレクター・杉守と作家の往復書簡
1回目は現在リコメンドウォールで「Toy」を開催中の成澤豪さんです。

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拝啓 成澤豪 様

2020年は「Toy」「Nuance」2シリーズの企画展でお世話になります。
昨年2019年は、紙版画作品「Room」「A Book」「friends」の3作品を展示していただきました。

他の会場での額装のご相談で成澤さんがルーニィに来てくださったのはちょうど1年前。その時、紙版画作品「Room」を拝見し、頭の中に光がピカピカとしました。
何だろう?!もう心が飛び跳ねてしまって、未知の楽しいものとの出会いです。

初めてペンギンを見たときのような
初めてオムライスを食べたときのような

その額装の仕事が終われば、普通次のご依頼まで会うことがないわけですが、
成澤さんの作品をもっと見たいという衝動が抑えきれず、連絡をして、アトリエに失礼ながらお邪魔しました。
あの時は失礼いたしました!

今年は3/31からリコメンドウォールで「Toy」が始まっております。
昨年の繊細な影のグラデーデーションと、また違った色の選び方。
成澤さんにとって「色」とは、何でしょうか?
また、ドローイングではなく、版画という手法で「Toy」を制作したのはなぜですか?



杉守様

お便りありがとうございます。その節は本当にお世話になりました。初めての作品展で、右も左もわからずおりましたから、杉守さんのご経験値とお人柄に、牽引していただけたことが、大変心強かったことを思い出されます。偶然から紡がれたご縁が、一年後、このような状況にまで育まれたことを思うと、作品を作り続けていてよかったなぁと、つくづく思うところでして、また、大切に制作した作品たちに、僕自身が応援してもらっているようだとも感じております。

そして、そんな作品たちへの有り難いご感想!! ただただ、嬉しいばかりです。僕は、制作が首尾よくいくと、妻の目の前で、小躍りして(いるらしいです)喜び、そうして出来た作品を彼女に褒めてもらえると、さらに大喜びしますから、どうやら褒められたい一心で作っている…とも思えてきますね(笑)。ですから、褒められると、どうしてもまた作りたくなります。

昨年、参加のお誘いをいただいたグループ展企画を皮切りに、リコメンドウォールを含む2つの作品展が、生まれて初めての個展でしたから、つまりアトリエ(と呼べるほど立派ではないのですが…)にお越しいただいて、作品を見ていただくという経験も無いわけで、大変緊張していました。こちらの方こそ失礼がなかったかと、ヒヤヒヤです。

さて、現在リコメンドウォールで開催いただいている『Toy』へのご質問ですが、「色」へのご質問に触れる前に、なぜドローイングではなく、版画という手法なのか…という点にお答えしたいと思います。
五年ほど前に遡るのですが、他のシリーズ作品も含め、すべての作品制作の始まりは、一本の線をひくことでした。発表するあてはないのに、衝動だけはあり(笑)、何かの裏紙を活用し、夜な夜な描く線。そのうち、いろんな筆記具で、いろんな線を描くことを試したくなり、そうして描いていくうちに、次第にコラージュのようなものへ変化していくのですが、ほぼ毎晩、一つの作品を作り、妻に見せては褒めてもらう(あ、やっぱり褒めてもらってる?!)を繰り返していたのです。

そんなあるとき、コラージュの延長で、身近にあった紙の切れ端を使って、絵の具か何かを塗りつけて、スタンピングをしてみたら、版画的なことがとても楽しかったわけです。銅版画やシルクスクリーンの作家さんのような専門的なスキルも環境もありませんが、紙を版にした“紙版画”なら、今ある条件のなか、自分の試行錯誤次第で、感じていることを表現できるかもしれないと思い、その後、膨大な試行錯誤を重ねながら、どんどんのめり込んでいったのです。ですから質問にお答えするならば、はじめは一本の線、すなわちドローイングからはじまり、紙版画という手法は、色々と手を動かしているうちに、そこから枝分けれした表現のひとつ、ということになりますでしょうか。

今でも線を描いたり、切ったり、貼ったりなどを絶えずやっており、紙版画においても、相変わらず様々なトライを繰り返しておりまして、そんな試行錯誤の道程の、“今”という時点を抜き出したのが、現在展示いただいている『Toy』という作品、ということになりますから、もしかしたら『Toy』というテーマのままで、ドローイングや彫塑のような表現へと、変わっていく可能性も、あるかもしれませんね。

僕にとって「色」とはなにか、というご質問ですが、それは生活や人生で得た「喜び」そのものです。そしてそれはいつも、何らかの姿(情景)や概念、経験や実感と、表裏一体のような状態で、僕に訪れることが多いように思います。先述のドローイングでもコラージュでも、毎晩妻に発表し、鑑賞してもらっていると、この色はあの時見た花の色みたいねとか、昨日食べたお夕飯のあの味を連想させる線だね、ということを言ってもらっておりましたから、考えても見れば、日常生活で得た嬉しいことが、そのまま反映されているのだと思います。

美しい光もあれば、美しい影もあり、美しい音色があれば、美しい沈黙もある。
毎日の生活の中で、そんなことに気がつける瞬間に出会うと、嬉しさのあまり、いてもたってもいられなくなりますので、そんな風に何らかの印象(インプレッション)を目の前で得た時には、すでに「色」を直感(インスピレーション)している、つまり描くべき色彩を、この世界から頂戴しているのだと思います。

しっかりとお答えできているとよいのですが、いかがでしょうか(ドキドキです)。

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2020年3月31日

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